せこ歯科クリニック

福田 泰久(ふくだ やすひさ)

福田 泰久

歯科医師 福田 泰久

お口の中のことでお困りのこと、悩まれていることがありましたら何でも御相談ください。
歯医者さんでイスに座ると色々な不安があるのにあまり言えない方は多いかと思います。
患者様のご要望にできる限りお応えしながら、リラックスして治療を受けて頂けるように努めています。
お口の中の健康を通して皆様のお体の健康を全力でサポートしていきます。

資格・認定医
・日本矯正歯科学会会員
・インビザラインドクター(矯正)
・日本口腔インプラント学会会員
・ほんだ歯科提携クリニック認定医
私のものがたり ∼歯科医師 福田 泰久

兵庫県神戸市で育ちました。
幼い頃から常ににこにこと笑顔の絶えない子供で、幼少期の写真を見返すとにこにこしていない写真がないくらいです。

小学校の高学年になると友達の誘いでサッカー部に入り、その頃には習いごともサッカーと学習塾に専念するようになりました。
しかし、僕は身長順で並ぶと絶対に一番前になるくらい中学生までは小柄だったので、十数人のサッカーチームにも関わらず、競り負けてしまう僕は試合に出られなかったことも多く、悔しい思いをしていました。

そして、幼いころの趣味は生き物を飼うことでした。
小学生の時には生き物係をさせてもらい、家ではカブトムシ、クワガタ、カエル、トカゲ、オタマジャクシ、ホタルなどを飼っていました。
飼っていた生き物が成長する喜びや、死んでしまった時の悲しみ、生命の尊さを学びました。
又、この頃に阪神大震災で被災しつつももっと被害の大きかった地域の復旧活動を行う中で、人は本当に人によって支えられ生きていて、小学生の自分にでも言葉や体を使うと、誰かに元気を与えられる喜びを知りました。

中学生になると、生物が好きなことに自分自身気付き、そのため理科の授業は好きで、楽しんで勉強していた覚えがあります。
部活も、理科の先生が顧問をしていた卓球部に入りました。
がしかし、卓球自体にはあまりのめり込むことができず、この頃から自分が何になりたいか、何をしたいかを考えるようになりました。
そして、中学3年の進路相談で、高校では馬術を真剣にして国体に行くこと。
高校で将来何になるか決めること。
この2つの目標を心に決めて、高校入学を迎えました。

高校生になると、水土日の週3日で馬術の練習と勉強に励みました。
入学前の2つの目標を達成するために、常に文武両道を意識していました。
長期休みになると毎日練習をし、気持ちが入っていない時には、師である父に厳しく怒られ、何十キロと走らされることもありました。
しかしそのおかげで、国体にこそあと一歩で出ることができなかったのですが、近畿地区大会には、兵庫県代表として出ることができ、学業でも満足できるよい成績を維持することができました。
何か大きな目標があるときには、我慢と努力と忍耐が必要であることを痛感し、何より大切な事は『NEVER GIVE UP(あきらめない)』いう気持ちだと3年間の経験で感じて、卒業アルバムの一言メッセージにそのように書いたことを覚えています。
今でもその思いは忘れることなく、常にその気持ちで何事にも挑戦しています。

高校で将来何になるか決める。その目標は高校2年の夏に決まりました。
きっかけは理科が好きだった僕は、進路も迷いなく理数系に進みました。
理数系のクラスに進むと、将来は医療系の仕事に就きたいという人が多く、仲の良かった友達が「将来は実家の歯医者を継ぐために歯科医師になる」という明確な目標を持っていました。
実家が歯医者ではない僕にとって、歯医者嫌いな自分が歯医者になることなんて考えたこともなかったのですが、その時に歯医者が少し身近に感じ持ちました。

歯科医師に対し興味を持ったのには2つ訳があり、おじさんが歯科医師をしていたことと、昔に祖父が顎骨内にできた腫瘍が原因で右半分の顎を取らなければいけない状態になった時の歯科医師への感謝でした。
腫瘍が原因で半分も顎の骨がなくなってはしまったものの、再び元気に過ごし物を食べることができるようになった祖父の姿が見ることができたことは本当に嬉しくて、腫瘍を発見してくれたかかりつけの歯医者さん、治療をしてくれた病院の歯医者さんに対して、心から感謝しました。

友達の影響から始まった、「俺も歯医者になる」、次第に「俺は歯医者になりたい」に変わっていき、その思いが通じて、念願の歯学部に入ることができました。
大学ではヨット部に入りました。ヨットと聞くと、何とも優雅なイメージが湧いてきますが、それは誤ったイメージです。(笑)
高校の部活かと思うくらいにハードなクラブで、土日はヨットに明け暮れていました。
平日はビッシリ歯科の勉強、週末はヨットでスパルタ練習。
高校生の時に引き続き、大学生活においても文武両道を余儀なくされてしまいました。
振り返るとすごくメリハリのある生活が送れていたので、すごく充実した6年間を過ごせました。
国家試験も順調にクリアーできたのも、遊ぶ時はしっかり遊び、勉強するときは思いっきり勉強するといった、物事に集中してやり込むという姿勢が身についたおかげだと思います。


卒後研修時代
大学卒業後は、小牧市の口腔外科を学べるクリニックで卒後研修を1年間過ごしました。
研修始まって間もない頃に院長先生から時計のプレゼントがあるからと呼ばれました。
同期の研修医と僕は不思議そうに顔を見合わせて院長室に行くと、院長先生から小さな置時計を渡されました。その時計のプレゼントと共に、院長先生から「社会人になる上で、時間に対する意識を持つことはすごく大切だからね」と伝えてくださいました。このエピソードから分かるように社会人としての基礎を多く伝えてくださり、大変怖い先生でしたが歯科といえども一つの命を扱う仕事としての緊張感を持つことを教えて頂けたことに今でも感謝をしています。


せこ歯科との出会い
歯科医師として多くの人に必要とされる存在でありたいと思い、口腔外科・矯正歯科・高齢者歯科・小児歯科など幅広い世代にふれあいを持てて、また知識・技術、医院経営・運営も同時に学ぶことができる医院を探しました。当時住んでいた、愛知県はじめ東海圏そして地元の関西圏も含め就職先を調べて、研修後初めて選んだ先が三重県のせこ歯科クリニックでした。2010年に入社した当時何もわからない状態から、せこ先生も診療後に夕飯を食べながら相談に乗ってくださり、先輩である渡部先生に診療の手技をレクチャーしてもらいせこ歯科の一員としての成長していくことができました。
歯科衛生士さんからもたくさんのサポートをしてもらい、地域の情報を知らない事を気遣って飲食店などをまとめたノートを渡してくれるスタッフさんもいました。縁のない地域で過ごすことへの不安もありましたが、せこ歯科のスタッフの優しさがあり、僕を指名で来院してくださる患者さんがいてくださり、人との関わりのなかで不安もなくなっていきました。


歯科医師、そして二児の父としてのこれから
現在は妻と2人兄弟の4人家族の父でもあります。
昔、僕自身も乳歯が虫歯になり、泣く泣く歯科医院に行って治療をした記憶があります。
とにかく子供がそのような思いをしないように、家に帰ってからも子供のお口と向き合う日々過ごしています。
歯磨きをはじめ、子供に色々と勉強や生活の習慣を教えていくことの難しさを日々噛みしめながら子育て生活奮闘中です。10年以上住んでいると僕や家族もこの地域に対する愛着が出てきたため、この地域でずっと生活しせこ歯科の一員として盛り上げていきたいと考えています。

現在はせこ歯科クリニックの副院長として診療のほぼすべてを行っております。
なるべく口の中にトラブルが出ないように、長期的に健康が継続できるようなお口の環境作れるように日々診療しております。
・虫歯や歯周病に対して、早期に発見して治療と予防をしていく。
・義歯やインプラント治療による機能回復を行い、他の歯への負担を減らし今ある歯の寿命を伸ばしていく。
・虫歯や歯周病などの予防を考えて、歯科矯正でセルフケアしやすい健康な口腔内環境を整えていく。
など幅広い治療に対応しております。
歯医者さんでイスに座ると色々な不安があるのにあまり言えない方は多いかと思います。
患者様にリラックスして治療を受けて頂けるように心がけています。

2010年の入社時の履歴書に「歯並びで困っている人を助けたい。矯正治療をやっていきたい」と記してあります。現在、せこ歯科の矯正治療を専門で行い、また歯を失った患者さんのインプラント治療も数多く行っています。

お口の中のことでお困りのこと、悩まれていることがありましたら何でも御相談くださいね。